靜網PWA視頻評論

日語N2級讀解模擬題

2023年10月29日

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問題Ⅰ 次の文章を読んで、後の問に答えなさい。答えは1・2・3・4から最も適當なものを一つ選びなさい。
  世間では、いま、表現教育ということが盛んに叫ばれている。子供たちに、どうにかして、「豊かな表現力」「誰とでも話せるコミュニケーション能力」を身につけさせようと、親も教師も躍起になっている。子供の方から見れば、表現を強要されているとさえ言える狀況だ。
 だがどうも、教える側も、子供たちの方も、「表現」ということを無前提に考えすぎていまいか?
 いや、いったい、何をそんなに伝えたいというのか?
 私はここ數年、演劇のワークショップ(體験型の演劇教室)を、年間で百コマ以上、全國で繰り返して開催してきた。教育の門外漢に、このような依頼が殺到するのも、表現教育隆盛の一つの現れであろうか。
 ただ、私が、そういった場で子供たちに感じ取ってもらいたいことは、表現の技術よりも、「他者と出會うことの難しさ」だった。どうすればコミュニケーション能力が高まるかではなく、自分の言葉は他者に通じないという痛切な経験を、まず第一にしてもらいたいと考えてきた。
 高校演劇の指導などで全國を回っているといつも感じるのは、生徒創作の作品のそのいずれもが、自分の主張が他者に「伝わる」ということを前提として書かれている點だ。
 私は、創作を志す若い世代に、演劇を創るということは、ラブレターを書くようなものだと説明する。「俺は、お前のことがこんなに好きなのに、おまえはどうして俺のことがわかってくれないんだ」という地點から、私たちの表現は出発する。分かり合えるのなら、ラブレターなんて書く必要はないではないか。
 日本はもともと、流動性の低い社會の中で、「分かり合う文化」を形成してきた。誰もが知り合いで、同じような価値観を持っているのならば、お互いがお互いの気持ちを察知して、小さいな共同體がうまくやっていくための言葉が発達するのは當然のことだ。それは日本文化の特徴であり、それ自體は、卑下すべきことではない。
 明治以降の近代化の過程も、価値観を多様化するというよりは、大きな國家目標に従って、価値観を一つにまとめる方向が重視され、教育も社會制度も、そのようにプログラミングされてきた。均質化した社會は、短期間での近代化には好條件だ。日本は明治の近代化と、戦後復興という二つの奇跡を成し遂げた。
 しかし、私たちはすでに大きな國家目標を失い、個人はそれぞれの価値観で生き方を決定しなければならない時代に突入している。このような社會では、価値観を一つに統一することよりも、異なる価値観を、異なったままにしながら、その価値観を摺り合わせ、いかにうまく共同體を運営していくかが重要な課題となっている。
 いま、あらゆる局面で、コミュニケーション能力が重視されるのは、ここに原因がある。「分かり合う文化」から、「説明し合う文化」への転換を図ろうということだろう。
 だが、ここに一つの落とし穴がある。
 表現とは、単なる技術のことではない。闇雲にスピーチの練習を繰り返しても、自分表現がうまくなるわけではない。
 自己と他者とが決定的に異なっている。人は一人ひとり、異なる価値観を持ち、異なる生活習慣を持ち、異なる言葉を話しているということを、痛みを伴う形で記憶している者だけが、本當の表現の領域に踏み込めるのだ。
問1 「狀況」とあるが、筆者は今どんな狀況だと言っているか。
 1 親や教師が子供に無理に表現させようとはしない狀況
 2 親や教師が子供に相互理解の重要性を教えようとしている狀況
 3 親や教師が子供にとにかく何かを表現させようとしている狀況
 4 親や教師が子供に表現することの難しさを教えようとしている狀況
問2 「他者と出會うことの難しさ」とあるが、何を指しているか。
 1 表現の技術を高めることの難しさ
 2 言葉の通じない國で交流する難しさ
 3 本當の心の友と出會うことの難しさ
 4 言いたいことを相手に伝える難しさ
問3 「演劇を創るということは、ラブレターを書くようなものだ」とあるが、どのような意味か。
 1 お互いに分かり合えることを前提にして、演劇を創り上げるべきだ。
 2 相手に自分の主張が通じないことを前提に、演劇を創り上げるべきだ。
 3 戀人に自分の愛情を表現するのと同じ気持ちで、演劇を創り上げるべきだ。
 4 相手に気持ちを伝える技術を磨くことを目的に、演劇を創り上げるべきだ。
問4 「そのように」とあるが、どのような意味か。
 1 個人が生き方を選択できるように
 2 誰もが同じような表現能力を持てるように
 3 存在する異なった価値観が共存するように
 4 國家の目標にあう価値観にまとまるように
問5 「コミュニケーション能力が重視されるのは、ここに原因がある」とあるが、その原因とは何か。
 1 私たちの心の中には、自分の主張が他者に伝わることはないと考えてしまう傾向があるから
 2 異なった価値観がぶつかり合うとき、どちらの価値観が優れているか、明確に示さなければならない
 3 現在は、個人がそれぞれ生き方を決定する必要があり、異なる価値観をうまく共存させることが必要だから
 4 現在は、國家的な目標がなくなり、共同體としてまとまりを保つために,表現技術に優れた指導者が必要だから
問6 現在の日本の社會について、筆者が述べていることとあっているものはどれか。
 1 「分かり合う文化」から「説明し合う文化」へと向かう途上にある。
 2 「分かり合う文化」と「説明し合う文化」がうまく共存し始めている。
 3 すでに「分かり合う文化」から「説明し合う文化」への転換を成し遂げたと言える。
 4 「分かり合う文化」は今も日本文化の特徴で、人々の価値観は基本的に同じである。
問7 筆者は、自分表現がうまくなるには、どんなことが條件になると言っているか。
 1 相手に自分の言葉が伝わらなかったというつらい経験を持つこと
 2 自分の主張が相手に伝わるようにスピーチの練習を何回もすること
 3 外國で暮らしたり、外國語を勉強したりした経験を持っていること
 4 自分と相手の気持ちがお互いに分かり合えた経験をたくさん持つこと
問題Ⅱ 次の(1)から(3)の文章を読んで、それぞれの問いに対する答えとして最も適當なものを1・2・3・4から一つ選びなさい。
(1)読書とは、本を買うことである。買ってしまえばこっちのもの、いつか必ずページを開く。買って積んでおくだけの、俗にいう「ツン読」も読書のうちなのである。
 この場合の「買う」とは、書店で手にして、ちらとでもこころが動いたら、即座にその場で買ってしまうことを指す。
 もうちょっと考えて、とか、明日でもいいや、とか、帰りに駅前もあの店で買えばいいか、なんぞと考えた瞬間、その本との縁は切れたと知るべし。(中略)
 その場で即座に買えないのは、一つには失敗を恐れるからだろう。せっかく買っても、読んでみてつまらなかったらどうしよう、と考えてしまう。しかし、失敗も読書のうち。読んで、つまらない、と感じるのは読んでからなのである。「つまらない」と思っても、それを「失敗」と考えてはいけない。「つまらない」と判斷できたことをむしろ誇るべきなのである。つまらない本をつまらないと感じられる人は、面白い本を面白いと感じられる人。失敗を心配するよりも、本質的につまらなく、くだらない本を、面白いと感じられるかも知れないことのほうを心配すべきなのだ。
 せっかく買ったんだからと、つまらないのを我慢して読み続ける必要はない。自分の判斷を信じて、すぐに放り出せばいい。
 もちろん、數多い本の中には、すぐには面白さの伝わりにくいものもある。はじめはとっつきにくくても、読み進んでゆくにつれて面白さがにじみ出てくる本がある。いったんは放り出したのに、何かのひょうしにもう一度手にしたとき、実に面白く読める、そういう類の本もたくさんある。
 何度も読んで、そのたびに新しい面白さを発見する本もある。たとえば漱石の『我輩は貓である』は、小學校三年生の時以來、何度手にしたことか。二十歳にはそのときの、還暦には還暦の楽しみ方がある。
問1 筆者が「読書とは、本を買うことである」でいう「買うこと」とはどのようなことか。
 1 時間をかけて、よく考えてから買うこと
 2 少しでも興味を持ったら、すぐに買うこと
 3 書店で手にとって失敗しないように買うこと
 4 よく知っている店で、店員に相談して買うこと
問2 「失敗も読書のうち」 とあるが、なぜか。
 1 いろいろな本を読むことで、本の価値が判斷できるようになるから
 2 本を買っても失敗したと思っても、買ってしまった本は最後まで読むから
 3 失敗だと分かっていても、読書することによって知識の量がふえるから
 4 いろいろな本を読むことで、くだらない本でも面白く感じるようになるから
問3 「そういう類の本」とはどんな本か。
 1 面白さを発見するために読む本
 2 何度読んでも、面白さを発見する本
 3 第一印象とは違う面白さを持つ本
 4 面白くなくても読み続けなければならない本
問4 この文章のまとめとして最も適當なものはどれか。
 1 つまらない本を読み続けても、面白くなるとはかぎらない。
 2 買った本を何度も読めば、その価値が分かるようになるはずだ。
 3 読書の面白さを知るためには、まず本を買って身近に置くことだ。
 4 本の面白さは年齢によって変わるので、小學生からの読書が大切だ。
(2)大學の講義やゼミセールの場を通し、折にふれ、私は學生諸君に向かって、「せっかく大學に入ったのだから、一つでも多く知的感動を味わい、學問を楽しんでほしい」と語りかけている。
 しかし、現狀を見ていると―――もとより私の力不足もあろうが―――殘念ながら、こうしたメッセージが若い諸君の心に十分、伝わっているとはいい難い。彼らのほとんどにとって楽しみの対象といえば、サークル活動やスポーツ、音楽、映畫、漫畫、あるいはさまざまなレジャーであり、それらはいずれも學問とは距離を置いたところにあるからである。
     、私が日々接している學生諸君について言えば、彼らの多くは決して學業をおろそかにしているわけではない。彼らはそれなりに勉強し、高い學力を持っていることは間違いない。
 こう書くといささか矛盾めくように聞こえるかもしれないが、大方の學生にとっては學問を楽しむ心の餘裕を持つ以前に、まずは目先の目標を順にかたづけなければならないという「強迫観念」を先行するのであろう。具體的にいえば、単位の取得、進學、就職など実利的な目標の達成が、焦眉の急なのである。それはそれで仕方ないのであろうが、こせこせせず、もう少し精神の豊かさをもって學問を見つめ直し、大學生活を送ってもらいたいと、つい注文をつけたくなる。
問1 「こうしたメッセージ」とあるが、どんなメッセージか。
 1 大學に入ったのだから、學問上のおもしろさを知ってほしい。
 2 大學に入ったのだから、學問とは別の楽しみも見つけてほしい。
 3 大學での卒業をおろそかにしないで、高い學力を身につけてほしい。
4 大學卒業のために必要な単位をとり、自分の希望をかなえてほしい。
問2     の中に入るものはどれか。
 1 それゆえ    2 だからこそ   3 それどころか  4 かといって
問3 「それはそれで仕方ない」とあるが、何が仕方がないのか。
 1 學生に伝えたい自分の思いが十分伝わらないこと
 2 サークル活動やスポーツを楽しみの対象とすること
 3 目先の目標をかたづけなければならないとあせること
 4 一つでも多く、知的感動を味わい、學問を楽しもうと思うこと
問4 筆者によれば、現在のほとんどの學生の目標は何か。
 1 精神の豊かさをもって學問を見つめなおすこと
 2 いい成績を取って、進學あるいは就職を果たすこと
 3 サークル活動やスポーツなどにより學問と距離を置くこと
 4 自分のメッセージを、他の人に十分伝わるようにすること
(3)世界の諸民族のあいさつを調べてみると、(中略)握手に代表されるような相互的なあいさつはきわめてめずらしいことがよく分かる。それはたいていの社會で、身分や地位や役割がはっきり定めっているからにほかならない。また、毎日の軽いあいさつがおこなわれる社會が少ないというのは、それらの社會では人びとはもっぱら家族や親族や部族など所屬する社會集団の成員として生きていて、個人としての役割があまりみとめられていないことと関係している。そうした集団內では、物のやり取りなどの際にも、ふつうあいさつはいらないのである。たとえばインドでは家族や友人のあいだではふつう感謝の表現はおこなわれない。かえってタブー視されるのだが、家族の食卓で塩を手渡してもらっても「ありがとう」という歐米流は、家族が一體になって暮らす社會では、むしろ「他人行儀」なことなのだろう。
 日本人もいつのまにか家族のなかで「ありがとう」をくりかえすようになった。しかも、それは文句なしによい習慣とかんがえられているようだ。それは家族が身を寄せ合うようにして生きていた暮らしがすっかり過去のものになり、人間関係が様変わりしたことを如実に物語っている。
問1 「相互的なあいさつはきわめてめずらしい」とあるが、なぜか。
 1 多くの社會では、人々の身分や役割がきまっているから
 2 身分や地位に関係なく、握手が代表的なあいさつだから
 3 毎日の軽いあいさつがおこなわれるのが、あたりまえだから
 4 世界の諸民族では、身分や役割がまだはっきり定まっていないから
問2 インドについての説明として正しいものはどれか。
 1 個人としての役割がみとめられているので、ふつう家族に「ありがとう」と言わない。
 2 家族の食卓で塩を手渡してもらって感謝の表現を使わないことは、タブー視される。
 3 家族や親族などの社會集団の成員同士の間では、感謝の表現がよく使われる。
 4 家族が一體となって暮らす社會なので、あまり「ありがとう」と言わない。
問3 日本についての説明として正しいものはどれか。
 1 「ありがとう」がよい習慣と考えられるのは、人間関係がかわって個人としての役割があまりみとめられていないからである。
 2 かつては家庭の中で感謝の表現はあまり使われなかったが、最近はよい習慣と考えられて頻繁に使われる。
 3 昔から家庭の中では感謝の言葉がよく使われていたが、最近は文句なしのよい習慣として定著している。
 4 家庭の中で感謝の言葉がよく使われるのは、家族が身を寄せ合うようにして暮らしているからである。
問題Ⅲ 次の(1)から(4)の文章を読んで、それぞれの問いに対する答えとして最も適當なものを1・2・3・4から一つ選びなさい。
(1)以前のことですが、地元の図書館の返卻ポストに誤って郵便物を「投函」してしまいました。この返卻ポストの色は「グレー」でした。最近の新しい郵便ポストは「グレー」のものが増えてきましたが、それで「グレー」に「反応」してしまったのです。本物のポストは、そこから2mも離れていないところに赤い色をしてありました。事の重大さに気づき、あわてて図書館の職員に電話でそのことを伝え、事無きを得ました。
 光は人の目に入り、脳がその刺激を受けることから、人は色を見て、過去の記憶が呼び起こされたり、あるものごとを連想することがあります。そういったことから、色は直接視覚を反応させるシンボルとして大きな効果をもっています。
問1 「そのこと」とあるが、そのこととは何か。
 1 郵便ポストに手紙を入れたこと
 2 郵便ポストに図書館の本を入れたこと
 3 図書館の返卻ポストに本を入れたこと
 4 図書館の返卻ポストに手紙を入れたこと
問2 「人は色を見て、過去の記憶が呼び起こされたり、あるものごとを連想することがあります」とあるが、筆者の場合、どんな色を見て、何を連想したのか。
 1 赤色を見て、郵便ポストを連想した。
 2 グレーを見て、郵便ポストを連想した。
 3 赤色を見て、図書館の返卻ポストを連想した。
 4 グレーを見て、図書館の返卻ポストを連想した。
(2)快楽を定義すると、「何の役に立つわけでもないが、自分にとって楽しいこと、ラクなこと、気持ちのよいこと」ということになります。「( 1 )」というのがポイントです。大人になるにしたがって、私たちは「何かのために言動せよ」と要求されることが圧倒的に多くなってきます。受験のために勉強する、健康のためによりよい食事を摂る、収入を得るために働く、明日のために早く寢る、知識を得るために本を読む…etc。それはそれでとても大切なことですが、いつもいつも「…のため」と目的意識をもって生活するのは、とてもしんどく疲れることです。
【問い】 ( 1 )に入るのに最も適切なものはどれか。
 1 ラクである
 2 気持ちがよい
 3 自分にとって楽しい
 4 何の役にも立たない
(3)人の家に食事に招かれたとき、料理の準備や後片付けでちょっとした仕事を割り振ってもらえると気が楽だ。
 でも、手伝いを頼む側カラス路と、他人への指示は意外と面倒くさい。こういう時に絶妙なさい配を振るえる人っていいな、と思う。最初は「漬物の袋を開けて」なんて簡単なことから始め、自然に仕事を分擔させていくと、やがて勝手が分かった客が料理を作り始めたりする。
 (中略)
 いつも無意識に動いている作業を、言葉にして人に手渡すことは難しい。一人で家事を抱え込んでしまうと、こうした「指揮能力」は発達しにくい。獨自に技を極める職人型家事もいいけど、全體を見渡して人も動かせる管理職型家事も、これからは必要みたい。
【問い】 筆者は家事についてどのように考えているか。
 1 家事を他人に手伝ってもらうときは、いつも簡単なことを頼むのがいい。
 2 一人で家事をするときは、全體を見渡して少しずつ進めていくと楽である。
 3 他人にうまく指示を與えて仕事をするのも必要な家事能力のひとつである。
 4 職人型家事をする人は指揮能力が高いので、多くの客を家に招いたとき役立つ。

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